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福間健二監督作品 わたしたちの夏 [美術館・展覧会紀行]

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8月最後の土曜日、ポレポレ東中野で福間健二監督作品、『わたしたちの夏』をみた。それほど映画をよくみるわけではないので、少し実験的なものにであったときにへんな解釈を持ち込んでしまうということがあり、もっと戯れとか遊びの部分を感じ取れるとよりよい鑑賞ができただろうにと感じた。しかし、そういったみる側の未熟さを通り越したところでの映画作品としての存在感には強く感じるものがあった。

福間先生は、私にとっては勤め先の大先輩というのが一番にくるのだが、映画監督や詩人として広く名を知られる方だろう。今回初めてみたその映画は私も知っている方々や場所がたくさんでてきて、そういう意味でも、そして、そもそも実写という表現形式もあって大変リアルなものなのだが、私が普段知っている大学という場やそこにいる学生たちとはまた別個の、独自の存在を獲得した一つの世界が作り上げられていることを感じられるのであった。

公開初日だったので、監督や出演者数人による舞台挨拶やトーク・ミニライブのおまけがついた。役者さんそれぞれの生身を感じることができた上、役作りをしてもらうというよりは普段自分が知っている人柄を生かした配役を考えているという監督の言葉を聞けて、なるほどと納得した。この映画をみて最も反応してしまったのはA先生の殺し屋役のはまりっぷりだったのだが、そういうことをふまえると、常に福間先生には自分の本性を見透かされているのかもしれないとも思え、少し怖くなってしまわないでもない。

『わたしたちの夏』、ポレポレ東中野で当分上映しているようです(21時~)。頻繁にイベントも企画されていますので、ぜひ、それにあわせてお出かけください。
そういえば、東中野の駅で降りたのは始めてかもしれない。街並みも映画館も大変よかった。この映画は少なくとも今は単館上映なので、映画館選びや上映時間からして監督のこだわりが出ているのかもしれない。今から考えれば、夜の東中野の駅に降り立った時からすでに福間ワールドが始まっていたのかもしれない。

シャガール展 上野、谷中、鶯谷 [美術館・展覧会紀行]

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先日、藝大美術館で開催中のシャガール――ロシア・アヴァンギャルドとの出会いをみにいってきた(10月11日まで)。上野に美術鑑賞にはよくでかけるが、藝大美術館に入るのはこれが初めて。それほど広くはないが、天井が高く、非常に鑑賞しやすかった。到着時に入場制限がかかっていて混雑を覚悟したが、さほどではない。そのあたりの管理が上手で、上質な鑑賞空間を演出できているのかもしれない。
肝心のシャガールだが、こうしてまとめて作品をみたのは初めてだったろう。キュビズムの影響を強く受けながら、その幾何学を基調とした構図を曖昧性をはらんだ独自の世界へと発展させていく過程を堪能できた。
一方、シャガール同時代の画家たちの展示でジャン・プーニーを知り、彼の一連の作品に心打たれる。なかなか収穫の多い展覧会であった。

このシャガール展に前後して上野、谷中、鶯谷を散歩した。まずは根津駅から藝大へ向かう途中、谷中の坂と路地に感動す。あるいは、上野の甘味処みはしであんみつを買って上野公園で一休憩入れ、その後アメ横の活気を楽しむ。最後は鶯谷園の焼き肉。なんとも贅沢な一日であった。
この地域、佐々木譲の『警官の血』を読んでからいままで以上に興味を持つようになった。どうして上野公園にブルーシートの家が多いのかがよくわかったし、あの土地が持つなんとはなしに暗くあやしい雰囲気の理由を同書に学んだように思う。今度はもう少し谷中をじっくり歩いてみたい。


警官の血〈上〉 (新潮文庫)

警官の血〈上〉 (新潮文庫)

  • 作者: 佐々木 譲
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2009/12/24
  • メディア: 文庫



警官の血〈下〉 (新潮文庫)

警官の血〈下〉 (新潮文庫)

  • 作者: 佐々木 譲
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2009/12/24
  • メディア: 文庫



ゴーギャン展@東京国立近代美術館 [美術館・展覧会紀行]

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8月14日、ゴーギャン展を開催中の東京国立近代美術館へ。ゴーギャンは好きな画家の一人だが、盆休み中の混雑した美術館ではなかなか鑑賞に集中することが難しい。ボストン美術館に所蔵される作品が多く来ていたが、今回の企画展の目玉とされる『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』などはかの地にてじっくり鑑賞済み。そんななか、大原美術館所蔵という『かぐわしき大地』(冒頭写真)はおそらく初見だったのではないだろうか、大変よかった。

ゴーギャンはシカゴ美術館にも多く所蔵されていてそこでも堪能したが、一番感動したのはハワイはオアフ島のホノルル美術館でのことだったろうか。空調を効かせた一般的な美術館とは違って、ホノルル美術館は窓を開けて換気された美術館。ハワイの独特の空気感のなかみたゴーギャンは最高だった。タヒチには行ったことがないが、ハワイの空気とタヒチのそれは想像するになかなか近いものがあるのではなかろうか。鮮やかながら若干退廃的な量感を帯びるゴーギャンの色彩は熱帯の重い、しかしどこか芳しい風に触れてこそ官能性を増すように思われるのであった。
一方、そんなふうに過去やら遠いところやらに想いを巡らせる感傷を催す効果こそ実はゴーギャン作品の魅力のような気もし始め、その意味では今回のゴーギャン展でもゴーギャンをしっかり味わえたと言えるのかもしれない。

「佐伯祐三とフランス」展@箱根ポーラ美術館 [美術館・展覧会紀行]

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ポーラ美術館入口

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先日、箱根ポーラ美術館で「佐伯祐三とフランス――ヴラマンク、ユトリロ、日本の野獣派」展をみた。ポーラ美術館は割と近所ながら訪れたのは今回が初めて。常々魅力的な展覧会を企画している美術館ながら、高額な入館料がネックという印象を持っていた。さらに、今回訪れたところ、あの山奥で一回500円の有料駐車場のみの用意という殿様商売っぷり。とまあ、第一印象はあまりよくなかったのだが、エントランスを前に早くも美術館としての質の高さに魅了されてしまった。森に囲まれてガラスを多用した近代的な建物は、浮き立つことなく周囲に上手く溶け込んでいる。わざと斜面の高いところに入り口を設けて階下の展示室へ誘導する建築構造は、隠れ家的なわくわく感を与えて来る者の期待感を高める。
そして、その期待を裏切らない立派な作品群が待っていた。

まず驚いたのは収蔵作品群の質の高さ。「佐伯祐三とフランス」展に感動したところ、この展覧会の作品のほとんどがもともとポーラ美術館に収蔵されているものであると後で知って二重に驚いてしまった。その他常設展示室のほうも洋画、日本画ともに一級のコレクションを誇る。1800円という割高な入館料にも納得せざるを得ない(箱根のいたるところに割引券が置いてあるので、それを使えば確か1500円程度で入館できます)。

なにより佐伯祐三が思っていた以上によかった。派手さはないながら、1920年代後半のパリの雰囲気がよく伝わってきた(というかそんな気にさせられた)。いくつか街頭に貼られたビラを題材にした作品があったのが、当時の風俗を映し出して興味深い。例えば、『ガス灯と広告』他でみかけた、どうやら褐色の肌を持つように見うけられる踊り子のポスターは、ひょっとしたらかのジョゼフィン・ベイカーのステージを告知するものであったりするのだろうか。そう思ってよくよく見るならば、当時芸術の都として世界中の前衛的な芸術家、作家達をひきつけたパリの街並みが目の前の画面の奥に広がっているような気になってくる。そんな風に想像をかきたてられた。

藤田嗣治に佐伯祐三、こうした日本のモダニストたちにもっと注目していきたい。


レオナール・フジタ展@上野の森美術館 [美術館・展覧会紀行]

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展覧会の案内ページよりダウンロードした裸婦像(『仰臥裸婦』[1931])。実物を見て気に入った作品の一枚です。

1月7日、上野の森美術館で開催中のレオナール・フジタ展にでかけた。レオナール・フジタ(藤田嗣治)を一気に好きになった作品に出くわしたのはシカゴでのこと。モダンすぎるほどにモダンながら、なぜかなつかしさを感じさせる彼の絵画のとりこになってしまった。私は美術といえば圧倒的にモダン・アートが好きなのだが、しかし多くのモダン・アートにはある種のとっつきにくさというか壁を感じることが多い。ありがたいものを目の前にして恐縮してしまうのか、何か理論的な理解を迫られている気になってしまうのか。一方、完全にモダニズムの画家だと思うが、フジタの作品は一目みたときから絵画全体を楽しむことができてしまう。今回の体系だった展覧会によって、その理由が少し理解できたように思う。
メモ程度に感想を。

・日本美術(東洋美術)と西洋美術の融合
水墨画的な完全に二次元的な作品(初期に多いよう)は、三次元を二次元で表現することに意識的であったキュビズムの絵画にある不安定さというか、見る者への挑戦的/挑発的な態度が少ないように感じられる。あるいは、金箔の多用や、ほとんど仏像のキリスト像(『キリスト』[1918頃])など、東洋的なものと西洋的なものの融合にフジタ作品の大きな魅力があるように思う。
シカゴでみたPortrait of Emily Crane Chadbourneを含め、私が好きなフジタ作品の系譜はこのあたりにあるらしい。

・猫たち
にゃ~

・ポップアート
ポップアートの影響を受けたと思われる子供たちの絵画がおもしろかった(『アージュ・メカニック』[1958-59]、『フランスの富』[1960-61])。不気味でエロチックな子供たちの羅列。

・マンガチックな要素
カトリック改宗後の宗教画にこの要素を多くみた。宗教的な敬虔さは表現されていると思うのだが、同時にチープにマンガチックな作品群。そのアンバランスさがすごくよかった。はっとするほど美しいイヴが描かれていたりするのも新鮮な驚き。

横須賀美術館 [美術館・展覧会紀行]

9月25日、地元の友人とドライブして横須賀美術館にでかけた。そういえば帰国してからは国立西洋美術館でのパルマ展に行っていた。とにかく最近はアメリカやイタリアで著名作品を多数収める巨大な美術館をいくつも堪能しているし、日本でも上野などの比較的大きな美術館の企画、特別展にはよく行くのだが、地方の小、中規模の美術館に足を運んだことはまれ。正直なところ、今日もそれほどは期待していなかったのが事実。

しかし、しかし、これは素晴らしい美術館であった。
なにより、最近できたばかりという館自体を含む環境がすばらしい。館の正面には海、三方は山というか森に囲まれ、高さを抑えた地平にそった広がりによって自然に一体化する。屋上の展望室から裏手に出ると芝生が整備され、美術館の屋上平面を含めたその広がりが公園のように演出される。
建物はガラスを多用して外光が館内に豊かに入るように設計され、作品を含めた空間作りがすごく上手い。今日は残念ながら企画展のはざまにあたってしまっていたものの、かなりテーマをしぼって収集されているらしい常設の作品のセレクションも素晴らしい。日本の近、現代美術が中心だと思うのだが、私好みのものが多かった。それほど多くはない作品たちがわりとゆとりを持って配置されているので余裕を持ってみて回れる。
こう言うと大げさだが、今日は自分の美学的価値が大きく変化した。いままでは基本的にいわゆる有名作品を見ることが美術鑑賞の一番の目的であった。それはそれで間違ってはいないと思う。やはり多くの人がよいと思うものはよいに違いなく、そうした作品に対峙するときの圧倒的な迫力にはぞくぞくくる。一方、横須賀美術館のよさは美術作品を額縁の閉じた世界から開放/解放する展示の工夫にあるのだと思う。たとえそれほどの有名作品が収められていなくても、たとえ同じ作品をもう一度みることになるのでも、例えば季節ごとにぶらっと訪ねたくなるような美術館だ。自分の好きな美術館として5本の指に間違いなく入ってこよう。
横須賀美術館、おすすめです。


裏手広場から館屋上の向こうに東京湾を望む。


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